Chapter 90 (2/2)

“Well, you’re a good young man. You’re thinking about your daughter-in-law, too. Just the ideal Buddha. In the unlikely event Victoria will not reject you, I will give Ernesta at that time. Today is a good day. I feel very good. ”

Vlad sits in a chair. So I took a deep breath. On the surface is Vlad regaining calm.そしてウィリアムも座るように手招いた。

ウィリアムが座ったと見るやぶどう酒をグラスに注ぐヴラド。相当上等のものなのだろう。しかし、ほのかに香る匂い。血の、薫り。ウィリアムは一瞬で感づいた。これはヴラドの悪癖の一種、上等のぶどう酒と新鮮な血のブレンドである。

ウィリアムが気づいたことを悟り、ヴラドは笑みを浮かべる。

「私の趣味を知ったのはいつかね?」

ヴラドの試すような目。あれだけの醜態をさらして、今更少しでも上位に立とうとしているのだ。その滑稽さにウィリアムは苦笑しそうになる。

「伯爵にお会いしてすぐのことです。私になりに伯爵のことを調べさせて頂きました」

「ほほう、それで、こういう趣味は嫌いかね?」

「いえ、私も強きが弱きを踏みつけることに快感を覚える性質でして……伯爵のお気持ちは共有できることと思います」

ヴラドはにんまりと微笑んだ。

「それは結構。いずれ上物を振舞わせていただこう。何、これもまた貴族の嗜みだよ」

「その時はご教授願います、御義父さん」

「もちろんだ我が息子よ」

グラスを重ね一気に飲み干す両者。

ご満悦のヴラドに対するのはこちらも笑顔のウィリアム。しかしヴラドは知らない。その笑顔と言う仮面の下に眠る暴発しそうなほどの怒りを、絶望を。だがウィリアムはそれをぐっと押さえ込む。溜め込んでいるのだ、復讐するその時にまで――

絶望の深淵。白き獣が生まれた場所まで、引きずり込むための下準備である。

ウィリアムはヴラドの私邸をあとにし、着替えるために自分の屋敷に戻った。

そしてそこには当然のごとく――

「お帰りなさい、ウィリアム」

向日葵のような笑顔で出迎えるヴィクトーリアの姿があった。そこにいるだけで場が華やぐ、ただの一声だがすっと自分の領域に入り込んでくる。ウィリアムはそれを心の中でしっしと追い払い、頑として踏み込ませてなるものかと強い意志で抵抗していた。

「もう一度、ここにおいていただけますか?」

ヴィクトーリアは不安げな顔を見せる。いつも明るいヴィクトーリアだが、その心は決して強靭ではない。人並みに傷つくし、人並みに脆い。それを奮い立たせてウィリアムの前に立っているのだ。なるほど、愛するというのはなかなかに困難な道である。

だからウィリアムは――

“I refuse”

“Huh!?”

それを笑顔で拒絶した。あわてるヴィクトーリア。一応ヴィクトーリアの中では葛藤した結果勝算があったらしい。なんとなくそれに乗っかるのは癪なので、とりあえず拒絶から入ってみる。

「い、いやです! ここにいます!」

「ここは俺の家なんだが? 何をするにも裁量は俺が持つと思うぞ」

「ひ、ひどい。ウィリアムの意地悪! ヴィクトーリアは断固居座ります!」

まあこの程度で退くようならウィリアムも興味は持たない。何しろ妹一人に命を差し出す女だ。家族の親愛と男女の愛はまた異なるかもしれないが、ちょっと冷たくした程度で折れる相手とはウィリアムも思っていない。

だが、ここでこの女にはひとつ決意表明をせねばなるまい。ウィリアム・リウィウスの障害として、ある意味で最悪の敵として立ちはだかるというのだ。

ウィリアムはヴィクトーリアの目を正面から見据えた。じっとその瞳の奥を覗く。

「俺はお前が嫌いだ。『無関心』ではいられないほど、俺はお前が嫌いになった」

ヴィクトーリアの表情が、

「愛想が尽きたらいつでも出て行って構わない。伯爵にはちゃんと話を通してある。俺としてもそれが一番好ましいからな」

ぐしゃりと歪んだ。涙が零れ落ちる。すごく、すごく嬉しそうな泣き笑い。嫌いと言ってくれた。無関心ではいられなくなったと言ってくれた。それだけでヴィクトーリアにとっては充分なのだ。充分すぎる御褒美である。

「絶対出て行かないもん。絶対、ぜーったい、私は貴方を好きでいつづける」

確信はさらに強固になる。

「馬鹿が。後悔しても知らんぞ」

そう言ってヴィクトーリアの横を通り過ぎるウィリアム。あわててヴィクトーリアはボロボロになったマントを外してやる。ちょっと前までの習慣どおり、しかし二人の距離は変化していた。先へ進んだのか、後退したのか、それは誰にもわからない。

「不束者ですがどうぞよろしくお願い致します」

ちょっと嫁気取りであった発言にウィリアムの眉がぴくりとはねる。

「……調子に乗るな」

ウィリアムのデコピンが炸裂した。「うぎゃ」と言って倒れるヴィクトーリアを無視してウィリアムは着替えを探しに一人歩む。その背をせかせかと追うヴィクトーリア。ウィリアムは不機嫌そうな顔、ヴィクトーリアは満面の笑顔――

当面この関係は変化しそうにない。

ファヴェーラが男を引き連れて現れたとき、ウィリアムの目は驚きに大きく見開かれた。色々と情報を抜くために拷問を行ったのであろう、顔色は土気色であり体調はすこぶる悪そうに見える。年月も経っており当時の面影は薄い。

しかし、それでも男の顔をウィリアムは忘れていなかった。

「へ、へへ、ウィリアムの旦那ァ。俺ァ、ヴラドにこそ見切りをつけましたが旦那のような優秀な御方に付き従いたいとずっと思ってたんでさあ」

手枷をかけられている男はこびへつらう目でウィリアムを見る。まるで餌を待つ犬のような所作。これを愛玩動物ではなく一人の中年が行っているのだから醜い話である。

「こいつはヴラドを裏切ってユルゲン・フォン・フリューア侯爵に取り入ろうとした。……どうしたのウィリアム? 顔色がおかしい」

ファヴェーラが心配そうにウィリアムを見る。心配そうな顔つきでもなければ心配そうな声色でもないが、ウィリアムと後ろに控えているカイルにはわかった。

「いや、たいしたことじゃない。そうか、ユルゲン侯爵か。以前誕生パーティで少し話したが……ヴラドとは旧知の仲と言っていたぞ」

「それなんです。ユルゲン侯爵はヴラドと旧知の仲ですが、ずっと下に見ていたそうなんでさ。だけど最近ヴラドが調子付いてきて、なんと大公家から求婚までされた日にゃユルゲンも黙っていられなかったようで。それで俺みたいなクズにお声おかけていただいたんでさ、へえ」

割って入ってきた男。ここが勝負どころと思っているのだろう。どうにかしてウィリアムに取り入ろうとしてくる。その姿の滑稽さに、ウィリアムは笑みをこぼした。それを良い方に捉えて男もまた「へへ」と笑う。

「なるほど。ならば前回とは関連性がない、な。そもそも前回の暗殺に比べると多少頭の弱さが露呈していた。上手くないんだ。タイミングも、やり方も」

ウィリアムは事実確認をし、事実に紐付けをする。前回と無関係であるならば好都合である。結局、暗殺ギルドもその先にいる依頼 者もまだあせっていない。つまり刻限をきっちり待っているのだ。ニュクスや白龍がどういう説明をしたのかはわからないが、依頼者はかなり頭が切れる、そし て長期的な視野にたって物事を考え、かつヴラドを相当憎んでいることになる。

ウィリアムに現状心当たりはないが、なかなかに厄介な相手であると再認識した。ユルゲンに関しては論外。突発的かつ刹那的、頼った相手もこの男だ。

「わかった。ありがとう。ところで、有能な君を買い取りたいのだが侯爵にはいくらで買われたんだ?」

「あ、銀貨、いや、金貨一枚でこぜえます旦那ぁ」

ここで盛ってくるあたり本物の愚者である。しかしウィリアムは微笑みを持って懐から金貨一枚を取り出した。

「今日から君は俺の部下だ。いいね?」

金貨を受け取り有頂天になる男。

「もちろんでさあ! 旦那に一生を捧げますぜ」

「そうか。それは良かった。じゃあ死ね」

男の顔が歪む。泣き笑いのような顔。

「へ、は? な、なんでですか? いや、確かに俺はヴラドを裏切りました。しかしこれからは心を入れ替えて旦那に仕えようと。俺ァなんでもしますよ!」

男は手枷をされているにもかかわらず、地面にはいつくばってウィリアムの靴をなめ始めた。一心不乱に汚れをなめ取るさまを見て、カイルやファヴェーラは視線をそむける。ウィリアムだけはそれを冷淡な目で見下ろしていた。

「ヴラドを裏切ったことなんて死ぬほどどうでもいいんだ。だって俺もあいつを殺すからな。一年もしないうちに」

男の舌が止まる。「え、なんて」と顔を上げ、其処に浮かぶ貌を見て、その貌が意味する感情を捉えて、男は絶句した。

「なあ、俺が何でヴラドを殺すと思う? お前はその理由の一端を知っているんだぜ」

男は精一杯努力して笑みの形を保つ。

「ヴ、ヴラドの悪癖で大事な人を奪われたんですかい? でも旦那ァ、俺は悪くねえ! あいつが命令したんだ! 俺みたいな平民じゃ断れなかったんだよ! わかるだろ旦那も、だから差し出したんだ、あんたも、大事な人を」

その瞬間、鬼の形相をしたカイルが男の髪をつかんで腹に拳を叩き込んだ。本気ではない。しかし剣闘王の一撃は男の許容量を容易く超えた。

「やめろカイル。ファヴェーラも手に持ったナイフをしまえ」

カイルは憤怒の形相で男を投げ捨て、男は地面でとしゃ物を撒き散らしながらのた打ち回る。

「お前の言うとおりだ。俺には止める機会があった。それを逃したのは俺の責任。お前やヴラドにそれを擦り付ける気はない。きっかけは其処だが、今は仕事でやつを殺すんだ。関係者だから俺がお前を殺す、ってのはないぞ」

ウィリアムはにこりと微笑む。男もそれに釣られてにこりと微笑み――

「お前を殺すのは別の理由だ」

ウィリアムの居合いに気づくこともなく笑っていた。自分の手が撥ね跳び、手枷の重みが片手に全て乗って、ようやく男は気づいた。

「あ、いあ、お、俺の手、俺の手がァァァアアア!」

男の叫びを聞き流してウィリアムは剣についた血をぬぐう。

「お前は俺に金言を与えてくれた。俺を人間じゃないとののしり、僕の大事なねえさんを蹴り飛ばした。お前が僕に教えてくれたんだよ」

William’s face is distorted.ウィリアムではなく『アル』の笑みが、絶望に彩られた最初期の記憶がよみがえってくる。

「奴隷は牛や馬以下。非人間。ありがたかったよ、あれで世界を知った。この国で僕がどうあるべきか、どうであったのかを知ることが出来たんだァ」

男は、記憶の深淵に眠っていたものを、思い出して戦慄する。

「お、おまえ、あの時のガキ、か!?」

男の記憶の片隅にもいなかった黒き髪の少年。男を睨み付ける眼と、その後聞こえてきた咆哮に気味の悪さは感じていたが、まさか名を変えてこの国で成り上がっているなどとは思考の端にもなかった。

「お久しぶりです名もなき敗者よ! 僕の靴を一心不乱に君がなめていたのはすこぶる滑稽だったよ。君が言うには僕は非人間らしい。その靴をなめる君は、いったい何なのだろうねえ。非人間以下の、この世界にはびこる有象無象はいったいどんな生き物なのだろうかねえ」

アルは哂う。始まりの衝動が身体を充たす。

「俺が王になった時、世界を制した時、それがこの世界の死だ、人間世界の終わりだ! お前の言う人間は全て滅びるんだよォ!」

ウィリアムは吼える。すべての頂点に己が立った後の世界を想像する。全てが自分にへりくだり、全てが自分を崇め奉る。その滑稽な地獄を想像して悦に浸るのだ。全てを足蹴にした景色を求めて――

「お前のおかげで今の俺がある。今となっては取るに足らぬ小物だが、それでもきっかけであることには変わるまい。お前にチャンスをやろう。手枷を外してやったんだ。お前は、自由だぞ」

ウィリアムは耳元でささやいてやる。それを聞くや否やすぐさま立ち上がって逃げ出す男。生命力の感じさせる動きである。理性なき、ただ生き延びようとする本能に支配される哀れな獣。

「さあさあ逃げろ逃げろ。お前は自由だ!」

男は自らがやってきた入り口に向かう。訓練場にはひとつしか扉がない。そこに向かって全力疾走する。誰よりも早く、何者も自分には追いつけない。

「しかし環境は人間の自由を束縛する。それもまた理だ」

ファヴェーラは怪我の完治こそしていないが、そこらの一般人に速力で劣る足ではなかった。扉の前に立ち、男を威嚇する。

「どけ女ァ!」

狂乱する男にファヴェーラはナイフを突きつけた。一瞬の早業、男の首元にナイフが添えられる。途端血の気が引いて後退する男。

「お前があいつをこうしてしまった。受け入れろ、それが貴様の業だ」

後退した先にはカイルがいた。カイルは男の頭を掴んで扉から遠ざかるように放り投げた。着地点はウィリアムの足元。カイルはそれきり視線を外す。

「あ、あへ、た、たしゅけてくだしゃい」

ウィリアムの足元にひれ伏し、幾度も頭を地面にこすり付ける男。勢いのあまり額から血が出てくるが気にも留めない。

「それは難しい相談だ。俺は君を金で買った。つまり君の所有者だ。君は昔俺に言ったね、買ったものをどうしようと買ったものの勝手だと。私はその言葉に深い感銘を受けたんだ。だから殺すことにした」

ウィリアムは手枷のついた方の腕も剣で切り飛ばした。

「因果はめぐるねえ。正直今の今まで俺は君を忘れていた。忘れていたわけじゃないが捜そうとまで思わなかった。それが今こうして俺の所有物として死ぬんだ」

「こ、こんな金は要らない! 返す、返すから許してくれェ!」

「俺に返すことが出来たら許してやってもいいぞ」

手のない男は自分の状況に絶望する。胸ポケットに入っている金貨を取り出そうと懸命に身体をよじる姿は芋虫にも似ていた。

「次は足だ。その次は鼻をそごう。ちょっとずつ、ちょっとずつ、壊してあげるよ。名も知らぬ我が所有物よ」

カイルもファヴェーラも一切止める気はない。彼らは常識人だが、彼らにとっての親友を奪い去った元凶の一人、優しいアルをここまで堕とした世界の歪み。それを助けることなどありえない。

「いやだぁぁぁああああ!」

金貨一枚の命。この男にしてはあまりにも過分であった。それでも価値を決めたのは男自身。安易に命を売ったこの男もまた、アルや他の復讐者たちと同様愚かであったと言わざるを得ない。愚者の末路は往々にして決まっているのだ。