Chapter 613 (1/2)

……ここ、どこ?

真っ暗というか、明かりがない。わたしがもそっと起き上がると、いつものお布団とは違う感触がした。まふまふとした手触りと完全に何かで包み込まれているような状況にわたしは自分の状況を思い出す。

……そうか。ここはアーレンスバッハで、レッサーバスの中だ。

同じ客間を護衛のために男の側近達も出入りするので、寝顔とか寝相を晒さないように窓を閉めて寝たのだった。寝る前に飲んだ回復薬がよく効いたようで体調も魔力も回復しているのがわかる。

ヴァッシェンをしただけで眠ったので、騎獣服のままだ。わたしは髪を手櫛で少し整えてからレッサーバスの窓を少し開けた。すぐ近くにアンゲリカの後頭部が見える。

「アンゲリカ、おはようございます。身支度のための側仕えを呼んでほしいのですけれど……」

「かしこまりました」

アンゲリカがすぐにレオノーレへオルドナンツを飛ばし、男性の側近達を部屋から追い出していく。代わりに、一人の側仕え見習いを連れたレオノーレが入ってきた。

「おはようございます、ローゼマイン様。体調はいかがですか?」

「完全に回復したようで、とてもスッキリしています」

わたしがそう答えると、心配そうだったレオノーレが胸を撫で下ろして安堵の微笑みを浮かべた。

「ローゼマイン様がお休みになってから丸二日がたっています。全く目を覚まさないので、心配いたしました」

「丸二日ですか!?」

どうやらよほど魔力や体力を使ったようで、わたしは死んだように眠っていたそうだ。一向に目を覚まさないわたしに側近達はハラハラしていたようだけれど、投薬量を指定したフェルディナンドは「起きるまでに二、三日はかかるはずだ」と言っていたらしい。

「……そのフェルディナンド様はどうしているのですか? この機会に自分も休息を取っているなんてことはあり得ませんよね?」

二日もたてばエーレンフェストの状況は大きく変わっているはずだ。フェルディナンドがおとなしくわたしの回復を待ってアーレンスバッハにいるはずがない。そんな予測は正しかったようで、レオノーレはコクリと頷いた。

「フェルディナンド様はアーレンスバッハとダンケルフェルガーの騎士団の一部を率いてエーレンフェストに出発されました」

「わたくし、置いて行かれたのですね?」

エーレンフェストへ行きたかったら薬を飲め、と言っておきながら置いて行くのはひどすぎる仕打ちではなかろうか。

……倍量を飲むの、すっごく大変だったのに!

「正確にはこれ以上ダンケルフェルガーの騎士達を城に留めておけなくなったので、フェルディナンド様が率いて外へ出ることになったのですよ」

本物のディッターだ、と言って外へ出せば指揮官の命令通りの行動をするけれど、特に役目もなく城にいれば反省会と言って宴会をしようとし、本番前の手慣らしと言って後処理に忙しいアーレンスバッハの騎士達とディッターをしようとする。そんなダンケルフェルガーの騎士達を城から追い出すためにも、フェルディナンドは境界門へ向かったそうだ。

「ちょっと待ってくださいませ。それでフェルディナンド様は回復できたのでしょうか?」

「丸一日は隠し部屋から出ていらっしゃいませんでしたから、回復はできたと思いますよ」

そう言ったレオノーレが身支度のために騎獣から出てくるように、と言う。わたしはレッサーバスから出て、鏡の前に座らされた。

「本日はわたくしが身支度のお手伝いをさせていただきます。フェアゼーレとお呼びくださいませ」

「レティーツィア様と一緒に救出された側仕え見習いですよね? レティーツィア様もフェアゼーレも少しは休めましたか?」

見覚えのある少女に声をかけると、フェアゼーレは嬉しそうに微笑んだ。

「はい。レティーツィア様もお元気です。……ローゼマイン様、レティーツィア様を救ってくださってありがとう存じます」

顔を洗う準備をしながらフェアゼーレがレティーツィアのことでたくさんお礼を言う。フェルディナンドの課題の厳しさから救うためのお菓子に始まり、ランツェナーヴェの船から救い出したことや、反逆を起こした領地の領主候補生ではなく、ランツェナーヴェに襲われた者として救済するとわたしが決めたことで、レティーツィアはとても救われたそうだ。今はわたしを新しいアウブとして受け入れるために、ランツェナーヴェの被害にあった貴族達やハルトムートやクラリッサの洗脳犠牲者をまとめているらしい。

……フェルディナンド様の命令があったんだろうけど、頑張ってるなぁ。

「ローゼマイン様は三日ほど目覚めないとフェルディナンド様がおっしゃったのですが、やはり不安で……。ローゼマイン様がお目覚めにならないことをレティーツィア様が大変心配していらっしゃいました」

この後で食事を摂るならばレティーツィアやハンネローレと一緒にどうか、と尋ねられたわたしはレオノーレを振り返る。気軽に受けて良いのかどうか判断できないので、フェアゼーレを呼んだレオノーレに尋ねることにしたのだ。レオノーレは小さく頷いた。

「では、食事の準備をさせましょう」

フェアゼーレはオルドナンツを飛ばした後、洗顔の道具を片付けて髪を整え始めた。わたしの髪を梳り、まとめはじめる。髪を褒めながら複雑に編んでいく。

「英知の女神 メスティオノーラと同じく闇の神の祝福を受けた夜空のような髪、星がきらめくような艶だとローゼマイン様の側近二人が絶賛していますが、本当にその通りですね」

……あの二人を誰か止めて。フェルディナンド様の命令に喜々として従ってたから無理だってわかってるけど、誰か止めて。

「お二人は今もアーレンスバッハの貴族達にローゼマイン様がいかに素晴らしい主であるのか、そして、アーレンスバッハが置かれている情勢をアイゼンライヒの歴史と合わせて説いています。王族からどのような沙汰があるのか、アーレンスバッハの貴族達は戦々恐々としているのです」

政変でも苛烈な粛清が行われたのだ。外患誘致による反逆となれば、一体どのくらいの粛清が行われるかわからない。ハルトムートとクラリッサはアーレンスバッハの貴族達の恐怖心を煽りまくっているようだ。

……ちょっと大袈裟だけど間違ってはいない。間違ってはないんだけど。

「そんなわたくし達にとって、長い不在期間に神々から祝福を受けて英知の書を預かり、王族にグルトリスハイトをもたらす役目を負ったメスティオノーラの化身であるローゼマイン様はまさに救いの女神です」

……へ?

「王族にグルトリスハイトを授け、混沌の女神に魅入られたアーレンスバッハを浄化するため、女神の化身であるローゼマイン様がこの地を導いてくださるのでしょう?」

……のおおおぉぉぉ! 何かわけがわからないことになってる! 誰だ、仕掛け人は!? って、一人しかいないよ。フェルディナンド様め!

文句を言いたくてもフェルディナンドはもう城にいない。頭を抱えたいけれど、フェアゼーレが整えている時にそんなことができるわけがない。

うぅ、と唸りながら鏡を見ていると、作業をするフェアゼーレがマントを邪魔そうにしていることに気が付いた。お仕着せらしい服の上にフェアゼーレは藤色のマントをつけているのだ。そのマントには黄色と青の染料で斜線が引かれて大きく×のマークがついている。何か意味があるのだろうか。

「フェアゼーレ、アーレンスバッハでは側仕えが仕事をする時にマントを着用する義務でもあるのですか? 動きにくそうに見えるのですけれど……」

「普段は付けませんが、今は特別です。ローゼマイン様やエーレンフェストの方々に敵意がない者とフェルディナンド様によって判断された者だけが着用を許されています。この印が入ったマントをつけていない者は捕らえられ、判断できるまで解放されません」

なんとフェルディナンドはわたしがレッサーバスの中に引き籠って寝ているうちに、レッサーバスごとシュツェーリアの盾に入れて、アーレンスバッハの貴族達の敵意を確認したらしい。

……グリュンに敵対心を持った人、いなかったのかな?

身支度を整えると、側近達が雪崩れ込んできた。長い時間目を覚まさなかったことで、護衛騎士達はとても心配していたようだ。コルネリウス兄様には「本当に大丈夫かい?」と顔を覗き込まれたし、マティアスとラウレンツはあからさまにホッとした顔になっていた。

「わたくしはもう大丈夫です。それよりもエーレンフェストが心配なのですけれど……」

「ローゼマインのためにはもう少し休んだ方が良いと思うけれど、エーレンフェストが心配なのは同じだ。行くならば止めないよ」

コルネリウス兄様にわたしは笑顔で頷いた。エーレンフェストがどうなっているのか確認して、養父様にこちらの状況を伝えなければならないだろう。

「ローゼマイン様がどうしてもエーレンフェストへ行きたいのであれば、オルドナンツを飛ばしてフェルディナンド様の現在地を確認した後で転移陣を使うように、とおっしゃっていました」

フェルディナンドには置いて行かれたけれど、アウブでなければ設置できない転移陣を使って後を追うことは許されているらしい。ラウレンツの言葉にわたしは気が楽になった。

「ダンケルフェルガーの騎士達とフェルディナンド様達はもうじき境界門のあるザイツェンに到着するとオルドナンツが先程飛んできました。境界門の騎士達に話を聞き、お昼の休憩を取ったら、エーレンフェストへ入るそうです」

「では、転移陣を使って追いかけるというか、境界門へ先回りいたしましょう」

「危険すぎるのでやめてください!」

マティアスに怒られて、わたしはフェルディナンドに目覚めたことと境界門に転移陣を開く予定であることを知らせるオルドナンツを送る。「境界門に到着したら連絡するので、勝手な転移をせずに待っていなさい」という返事が来た。