Chapter 291 (2/2)

上級貴族は大半が合格しなかった。これからゆっくりと魔力を動かすことに体を慣らしていくのだろう。先生によって解散が命じられ、わたし達は寮へと戻る。

本日の課題も無事にクリアできたわたしは、寮に戻ってから参考書作りの続きをしていた。作りながら、中級と下級貴族の一年生から宮廷作法の課題に関する話を聞いて、代わりに魔力圧縮の第一段階のコツや魔力を動かすことに慣れていない上級貴族がバタバタと倒れていたことを話す。

「そのようなお話を伺うとドキドキいたしますね」

「魔力が少ない方が負担は少ないとヴィルフリート兄様が言っていました」

「ですが、その分、魔力を増やすのが大変だということですよね?」

「そうです。生死の境目で必死になるほどでなければ、魔力はなかなか増えませんよ」

わたしの言葉に「魔力を増やすために命を懸けるのは怖いです」という声が上がる。無理のない範囲で上げていこうという結論に落ち着いた時、ヒルシュールが多目的ホールに入ってきた。

扉を開けて、ぐるりと中を見回す紫の目がギラリと光って、わたしを捕えたのがわかる。

「え? ヒルシュール先生!?」

「何かあったのですか!?」

珍しい寮監の姿に多目的ホールがざわめく。本来ならば、寮監が寮にいても何の不思議もないのだが、エーレンフェスト寮では、寮監がいない方が普通なのである。

ヒルシュールはわたしをじっと見たまま、足音を立てず、優雅に、しかし、恐ろしく速いスピードでわたしのところへと向かってくる。途中で投げかけられている生徒たちの質問は完全に無視だ。多分、視界にも入っていない。

あまりのスピードに驚いたのか、視線の強さとピリピリとしたような雰囲気に触発されたのか、レオノーレがシュタープを取り出し、コルネリウス兄様がわたしの前に立った。

軽い動きでわたしを守るように出てきたアンゲリカが生き生きとした顔で魔剣シュティンルークに手をかける。

護衛騎士という職業に慣れていないせいか、まだ低学年のせいか、ユーディットとトラウゴットはポカンとした後、ハッとしたようにわたしのところへと駆けてきた。

「なかなか優秀な側近を揃えておいでですね」

クスリと笑ったヒルシュールが護衛騎士を見回してそう言った。

「ごきげんよう、ローゼマイン様。わたくし、ローゼマイン様に急ぎのお話がございます。ローゼマイン様のお部屋に伺ってもよろしいでしょうか?」

にこりとした笑みを浮かべているが、視線の強さは変わらない。断るなどできるはずもなく、わたしは頷いた。

「えぇ、もちろん構いません」

わたしの了承と同時にリヒャルダとリーゼレータが身を翻して、迎える準備のために部屋へと向かうのが視界の端に映った。そして、この場に残った側仕え見習いのブリュンヒルデは、わたしが立ち上がれるように椅子を動かしてくれる。

リヒャルダとリーゼレータの準備が整うように、わたしはゆっくりと立ち上がり、緊迫した雰囲気が満ちているホールを見回した。

「ハルトムートとフィリーネはここで参考書作りの続きをしてちょうだい。それから、護衛騎士は女性だけで良いわ」

優雅に微笑みながら指示を出しているけれど、内心はわけがわからなくてぐるぐるしている。

……なんか怒られる気がする。なんで? わたし、何をした?

もしかしたら、昨日、フラウレルムを卒倒させた話だろうか。ヒルシュールに昨日レッサーバスを見せた時には喜んでいたし、感心したようなことを言っていたので、お説教は回避したとばかり思っていた。けれど、復活したフラウレルムから何か苦情でも入ったのかもしれない。

……神官長の師匠と思っただけで怖いよぉ。

しくしくと痛む胃を押さえながら、わたしは護衛騎士を率いて、ブリュンヒルデの先導で自室へと戻る。一足先に部屋に戻っていたリヒャルダとリーゼレータによって、客人を出迎える準備がされていた。

リヒャルダにお茶を入れてもらい、わたしはお茶とお菓子を一口ずつ口にして、ヒルシュールに勧める。ヒルシュールはお皿に置かれたお菓子を一口食べて、少し目を細めた。

「……このお菓子は何でしょう?」

「カトルカールというお菓子です。最近エーレンフェストで流行しているお菓子ですわ」

「まぁ……」

ヒルシュールが目を丸くして、雰囲気が和らいだことに安堵しながら、わたしは用件を聞いた。

「お急ぎの用件とは何でしょう?」

「本日の魔力圧縮についてお話をしたいと存じます。人払いしてくださいませ」

魔力圧縮に関する話は秘匿しなければならないことが多い。わたしは頷いて、軽く手を振った。側近達がざっと部屋から出て行く。

その上で、ヒルシュールはわたしの前に盗聴防止の魔術具をコトリと置いた。

「これは盗聴を防ぐ魔術具です」

「存じております。フェルディナンド様がよく使われるので」

「あら、あのフェルディナンド様と魔術具を使って秘密のお話をする間柄ですか?」

からかうように紫の目が輝いたかと思った次の瞬間、ハァ、とヒルシュールは息を吐いて肩を竦めた。

「わたくしが必要だと思ったのと同じ理由で準備されているのだと思いますけれど。……では、早速ですけれど、本日の魔力圧縮の時、何をしたのか、説明してくださいませ」

食らいつくような紫の目で身を乗り出すようにして聞かれても、正直困る。わたしは魔力圧縮以外に何もしていない。説明するようなことは何もない。

「何と言われても……魔力の圧縮しかしておりません。何を説明すればよろしいでしょうか?」

わたしの言葉にヒルシュールがきつく目を閉じて、「無自覚?」と呟くのが聞こえた。どうやら何かやらかしたらしい。

「あの、魔力圧縮は合格だったのですよね? わたくし、何か足りませんでしたか?」

「いいえ、足りなかったのではありません。むしろ、足りすぎました。わたくしは長い教師生活の中で初めて遭遇した異常事態を解明したいだけですわ」

「異常事態ですか?」

「えぇ」

さぁ、説明しろ、と迫られているのはわかるが、何か異常事態があっただろうか。やっぱりわからない。

「異常事態とは何ですか? 多分、わたくしが普通ではないことをしたのでしょうけれど、何をしたのかよくわからないのです」

驚いたようにヒルシュールが目を丸くした後、腰から下げていた魔術具をカチリと外してわたしの前に置いた。魔力圧縮の時に手首に付けていた物だ。

あの時ヒルシュールがじっと見ていた面には、電圧計のように目盛りと針があって、今は針が真ん中を指している。

「今回使ったこの魔術具は、魔力の濃さを測る物です。手首に付けると、付けた時点の魔力が基準となり、それから圧縮されたかどうかを調べることができます」

濃度や量を数値化するのではなく、針が動くかどうかで圧縮に成功したかどうかを調べるのだそうだ。

「圧縮に成功して濃度が濃くなると針は右に振れます。圧縮の仕方さえ覚えれば、後は当人が努力するしかないので、基本的にほんの少しでも針が右に振れれば合格になります」

一応の圧縮ができれば、効率を良くしたり、大量に圧縮したりは本人が努力するところなので、先生達が関与する範囲ではなくなるらしい。

「ローゼマイン様につけた魔術具は特別な物で、フェルディナンド様の魔力濃度を測定するためにわたくしが特別に作った物なのです」

貴族院時代、天才と言われていた神官長は、普通の魔術具では簡単に針を振り切るようなレベルの圧縮をしていたそうだ。そのため、大きな振れ幅を観測できるようにヒルシュールが魔術具を改造したらしい。今回、わたしは神官長用の魔術具が使われたそうだ。「騎獣でフラウレルムを卒倒させたのですもの。何が起こるかわかりませんからね」と言われた。

……ごめんなさい。

「そして、案の定と言いますか、予想以上と言いますか、想定外のことが起こったのです。わたくしがローゼマイン様に圧縮を始めるように、と言った直後、針が左に向かって振り切れました。フェルディナンド様用に作った魔術具の針が振り切れるほど魔力の濃度が下がるなど、わたくしは初めて見ました。どう考えても圧縮を行う子供達ではあり得ない針の動きです」

……あ、そっか。圧縮するために開放したから、一度濃度が薄まったんだ。

「そして、その後、まるで圧縮に慣れているかのように、見る見るうちに針が元に戻っていき、更に、右側に向かって針が倒れていきました」

「それは、つまり、最初の状態より濃度が上がったということですよね? わたくしの圧縮は成功していたということで間違いありませんか?」

「間違いありません」

ぶっつけ本番ではあったけれど、ローゼマイン式圧縮方法を四段階にすることにはちゃんと成功したようだ。やった、とわたしが内心小躍りしていると、ヒルシュールが「やはりフェルディナンド様の愛弟子ですわね」と呟いた。

「さぁ、ローゼマイン様。一体何をしたのか、きちんと説明してくださいませ」

「はい。魔力圧縮に関する説明を受けた時に、魔力の濃さを測って、それ以上に圧縮できたら合格だと言われたので、わたくしは今まで以上に圧縮しなければならないと思ったのです。そのために、圧縮していた全ての魔力を解放してから、更なる圧縮を目指して、圧縮し直したのです。あ、ヒルシュール先生の助言が大変役に立ちました」

わたしは自分が行いを説明すると、ヒルシュールは肩を落として、緩く頭を振った。

「それはようございました。けれど、ローゼマイン様。これまでに圧縮ができていたのでしたら、最初に薄めておいて、元に戻すだけで良かったのですよ?」

「あ!」

……盲点だった。

「普通はそれ以上に圧縮しようなどと考えません」

「申し訳ございません。全く思い浮かびませんでした」

ヒルシュールが疲れ切ったような顔でわたしを見た。

「それにしても、フェルディナンド様の愛弟子ですわね。規格外といいますか、想定外といいますか……。再びエーレンフェストの名が上がる時代がやってきたのでしょうか。ローゼマイン様は無自覚な分、フェルディナンド様より困ったことになりそうですけれど」

そう呟いた後、ヒルシュールは気を取り直したように、クイッと顔を上げ、興味深そうに紫の瞳を輝かせる。

「ローゼマイン様、先程わたくしの圧縮方法が参考になったとおっしゃいましたね? でしたら、わたくしもローゼマイン様の圧縮方法を参考にさせて頂きたいものです」

「……大変申し訳ございません。わたくしの圧縮方法はエーレンフェストの秘密で、首脳陣6名の賛成がなければ教えられないことになっているのです」

「まぁ、それは残念だこと。首脳陣の6人とは一体どなたかしら?」

残念、と言いながらもヒルシュールの表情は全く諦めていない。どこから情報を入手するか考えている顔をしている。

「領主夫妻と騎士団長夫妻辺りでしょうか? ローゼマイン様の後見人ならば、フェルディナンド様も含まれるのかしら? あと一人が思い浮かびませんわね。ジルヴェスター様の筆頭側仕えでいらしたリヒャルダ? それとも、ボニファティウス様でしょうか?」

エーレンフェスト出身のヒルシュールは内情にも詳しいようだ。わたしは冷汗をかく思いで、ヒルシュールの言葉を聞く。

「エーレンフェストの領主夫妻に許可を頂くのは簡単ですわね。カルステッド様とエルヴィーラ様も色々と貸しがございますから、手強くても攻略はできそうですね。後はどなたかしら?」

そう言いながら、ヒルシュールがわたしをじっと見つめながら、唇の端を上げる。

……うわ! ヒルシュール先生、エーレンフェスト首脳陣の秘密や弱み、いっぱい握ってるっぽい! ひーん、助けて、神官長!

蛇に睨まれた蛙の心境で、ヒルシュールを見返していると、小さく笑ったヒルシュールがすっと立ち上がった。

「騎獣、魔力圧縮、このお菓子……。ローゼマイン様が一体どのような変化をもたらしてくださるのか、楽しみにしておりますよ」