91-91 Loros Friends (1/2)

ボクは怪物に向かって踏み込み、全力でまっすぐに跳んだ.

すると怪物は無数の手のひらをこちら(ボク)に向け────また、あの黒い雷が放たれた.

『『『【黒雷】』』』

でも、その雷は命中の直前、直撃を避けるようにして逸れた(・・・).

それは遠くの山に当たり爆発で稜線を削り取って形を変え、巻き起こった暴風がボクの身体を吹き飛ばしはしたが、結局、皮膚の表面を灼いただけだった.

────どうやら、ひとつの賭けには勝ったらしい.

あの化け物は今、ボクを殺さないことに決めた.

生かすか殺すかで迷っていた心が定まり、ノール達から離れてたった一人になった獲物(ボク)を捕らえることに決めた.

ボクは爆風を受けて宙に舞った瓦礫を足場にして、身体中に蠢く無数の眼球でこちらを見据えている怪物に向かって更に跳んだ.

『『『────ア゛ア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛』』』

そうして、あいつがあの触手のような腕を伸ばせば触れられそうな距離にまでボクが近づくと、化け物が楽しそうに嗤うのがわかった.

この化け物は自ら目の前に飛び込んできた小さな存在がもう、何の力もない、ただの食べ物(・・・・・・)でしかないと理解している.

周りの厄介な奴らから離れたら何の抵抗もできない非力な存在なのだと知っている.

だから、ボクのことを自分に食べられる為に飛び込んできた愚かな獲物(エサ)だと嘲(あざけ)り、笑った.

その理解と嘲笑は正しい.

化け物が考える通り、ボクはとても弱い.

どうしようもなく非力で、まともに剣を握ることすらできないし、もちろんここに来たって自分一人では何もできない.

さっきのように不意打ちでもしなければ、一瞬で握りつぶされ、ただ口の中に放り込まれるだけの取るに足らない存在.

ボクだって、それはわかっている.

わかっているから、ここにきた.

今のボクは餌でしかない.

こいつを引き付ける為の、ただの生き餌(・・・・・・).

だから、こいつには、このまま笑わせておけばいい.

それがボクの今の役目なのだから.

『『『────ア゛』』』

そうして、化け物は大口を開け、無数の太い腕を伸ばしてくる.

それに対して、ボクは何の抵抗もできない.

避けるすべもない.

『『『────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛』』』

その時、化け物の無数の口から立ち上ったのは、大地を揺るがすような歓喜の声の合唱だった.

もう心の声は聞こえなくとも、化け物が心の底から笑っているのがわかり、一瞬、身が竦む.

こいつはこの瞬間、他のことを忘れている.

この時を、ボクの血肉を喰らうのを本当に楽しみにしていたらしい.

「────はは」

ボクも一緒に、笑う.

ボクはこの時点でひとつの役目を終えた.

この化け物の注意を自分自身に惹きつけて、わずかな時間を浪費させることができた.

ほんのわずかな時間.

でも、今この瞬間の「一瞬」は千金にも値する.

それだけの時間があれば、地上(した)に居るノールやリーンたちは散った人々を集め、上手く体制を整えてくれるに違いない.

こんなに弱い存在でも多くの人の役に立てたのだと.

それだけでもう上出来だと思い、思わず小さな笑みがこみ上げる.

────でも.

ここで自分がこいつ(・・・)にこのまま食べられるのなら、もっともっと沢山、時間を稼げるに違いない.

……そうなれば、もっといい.

普段、多くの人々に忌み嫌われる『魔族』の自分がここでこいつに食べられて消えられるならそれは「いいこと」なのだと思う.

それは人の役に立ったと十分に胸を張って言えることなのだろう、と.

こんなボクでも死ぬまでに人の役に立ちたいと、ずっとそう思っていた.

だから、ここで自分が美味しく食べられて死ぬのはきっと、いいことだ.

────そんな風に、少し前の自分なら思っていたかもしれない.

でも、今は不思議と全然そんな風には思えなかった.

こんな状況で意外なほどに冷静な自分に気がつく.

もうすぐ、あの怪物の触手が体に届くというのに、自分は絶対に死なない(・・・・)という確信がある.

いや、どちらかというと、死なないというより死ねない(・・・・)と思っている.

こんなところで死んではいけないと、誰かに言われたような気がした.

もう、既にミアンヌさん達とまた美味しい料理を食べると約束してしまったから.

ボクを生かして帰すために、いろんな人がいろんなことを教えてくれたから.

それに、やっぱり地上(した)にいるリーンやイネス、ノール……ボクを仲間と思ってくれている人達は、そんなことを望んでいないと思う.

彼らの期待を裏切ることは、したくない.

ボクはここに時間稼ぎの『餌』となるために出向いてはきたけれど────ここで死ぬつもりも、生きることをあきらめる気もない.

だから、ボクは目の前で喜ぶ怪物に小さく謝った.

「ごめんね────キミに食べられてあげられなくて」

その代わり、笑わせてあげようと思う.

今この瞬間だけ.

この怪物は笑っている間、動きが鈍る.

それだけの時間があれば準備をするには十分(・・)だから.

そうして、ボクはオーケンさんに渡された革袋から取り出した『魔術師の指輪』を指に嵌め────怪物に向けて彼女(・・)の名前を呼んだ.

「────おいで、ララ」

声に出すと同時に、指輪に嵌め込まれた紅い魔石が激しく輝き、莫大な魔力が周囲に爆発するように溢れ出し、視界を覆った.

そうして、その瞬きよりももっと短い刹那の瞬間────ボクは極限まで意識を集中させた.

赤い石から流れ出る膨大な力の全てを、身体の表面を受け流すように動かしていき、僅かな量も取りこぼさずに「別の力」へと変換する.

そして同時にそれを『魔術師の指輪』に押し込み、還流させてまた新たに力を取り出す.

────その動作を繰り返すことで更に『力』を爆発的に高め、増幅していく.

この一瞬の操作はとても難しいし、一歩間違えば魔力が暴発するか、体の内部に流れ込んで死ぬだろうとオーケンさんには教わった.

でも、出来ると思う.

オーケンさんと一緒に、ずっとこれだけを練習してきたから.

それに『魔族』が『魔族』と呼ばれる前、かつて『レピ族』と呼ばれた人々は、そういうことがとても得意だったとオーケンさんから教えてもらったから.

出来るはずだと思う.

ボクにも彼らと同じ血が流れているはずだから.

そして真紅の石の持つ膨大な魔力を全て変換し終えると『力』は巨大な『門』となって眼前に現れた.

かつてリーンの襲撃に使われたという『召喚魔術』が今やっと、完成した.

「────もう、出てきてもいいよ、ララ」

そうして、ボクは全力で力を指輪に押し込み────指輪(その中)に嵌め込まれた真紅の魔石の中にいる彼女(・・)を外に喚び出した.

瞬間、指輪から魔力が爆ぜ、『門』から目を灼くような激しい赤紫色の閃光と共に、空を覆うような黒い巨体が姿を現す.

『グゥアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア────』

そして指輪の石から出てきた彼女(・・)────

かつて、ノールに名付けられる前までは【厄災の魔竜】と呼ばれた巨竜ララ(・・)がボクを掴もうとした怪物の無数の腕をあっという間に噛み砕く.

『『『────ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛』』』